自分を引き裂きながら、呪いの言葉を吐きながら。 私はようやく、一人分の穴を掘り終えた。 「…さよなら、シロっ……」 私はシロを抱きかかえると、 その穴に優しくシロを安置する。 …つもりだった。 「あ…あれ……?」 私はようやく異変に気付いた。 シロはぴくりとも動かない。それは確か。 でも、その体は温かい。 「え!?も、もしかして……!!」 よく見てみれば、引き裂いたはずの胸は なぜかふさがっていた。 私は慌ててその胸に顔をあてる。 とくん、とくん。 確かに規則的な鼓動が聞こえてくる。 シロは、シロは生きている!! でも、どうして!? ううん、そんなのどうでもいい!! 「シロを助けないと!!」 私はシロを抱き起こした。 とは言っても何をすればいいのかわからない。 前みたいに目が覚めるのを待つ? でも、そもそも私と一緒にいたら シロにとっては毒のはずで… 思わず途方に暮れたその時。 聞こえるはずのない声が耳を打った。 「うわっ!?何これ血塗れじゃん!!」 「と、トヨネ!?大丈夫なの!?」 思わず振り返ると、 そこには見覚えのある友達の顔。 「え…みんな、ど、どうしてここに!?」 「話は後!シロは!シロは死んでないんだよね!?」 「う、うん…」 「だったら急ごう!まだ間に合うかもしれない!」 「下で熊倉先生が車で待ってる!」 「ハリー!ハリー!!ハリー!!!」 わけがわからないまま、促されるままに 私はみんなと一緒に山を下りる。 くるみの言った通り、ふもとでは 熊倉先生が待ち構えていた。 先生は血みどろの私を見るなり眉をひそめる。 「派手にやらかしたねぇ…まあいいさ、  そのままでいいから早く乗りな?」 「は、はい…すいません」 「でも…どこに行くんですか?病院?」 「まさか。病院じゃ物の怪の病気なんか  治せやしないよ」 「だから、行くところは決まってる」 「……」 「白望山さ」 -------------------------------------------------------- 小烏瀬川を抜けて白望山に。 そこに広がる景色は、私達が住んでいた山と大差なかった。 登山道があるあたり、むしろましかもしれない。 でもその登山道も途中で途切れた。 なのに熊倉先生は、まるで 目的地がわかっているかのように すたすたと歩みを進めていく。 汗だくになりながら進むこと小一時間。 やがて、藪の中に埋もれるようにひっそりと建つ 一軒の小屋の前に出た。 「…さ、お入り。あんた達の家だよ」 熊倉先生に促されるまま中に入る。 少しばかり小さいけれど、 中は整頓されていて、まるで新品のようだった。 「えっと…これは一体……」 「…そんなに急く必要はないさ。  白望が目覚めるまでまだ時間はあるだろう。  まずは二人とも、その  血生臭い体を清めてくるといいさ」 「残念ながらお湯は出ないけどね。  水ならポリタンクに汲んであるから」 「あ、はい……」 訳がわからないまま、 でも言われたとおりに身体を洗う事にした。 目を覚まさないシロも一緒に。 血が渇いて張りついた服は、 脱がすのに苦労した。 でもそれを取り除いたら、 傷一つないシロの真っ白な身体が現れる。 「どういう…事なんだろ……」 シロの体に起きた異変。 言うまでもなくそれは普通じゃなくて。 もしかして、シロも人間じゃなかったんだろうか。 まあでもそれは、考えるより 先生に聞いた方が早いだろう。 体を清め終わって、シロを寝床に安置する。 ご丁寧に着替えも用意してあったから、 それを纏ってみんなの元に戻った。 「…さて、何から話そうか…」 「と、その前に一言謝っておかないとねぇ」 「遅くなってすまなかったねぇ。  まあでも、間に合ってよかったよ」 「間に合った…何が間に合ったんですか?」 「…だからそう急ぎなさんな。  とりあえず、ここに皆が集まっている理由も含めて」 「全部、最初から話すとしようかね」 熊倉先生はいつの間にか入れていたお茶を啜りながら 滔々と語り始めた。 -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- 卒業した後、豊音は一人山に入った。 私はそれを知りながら、皆には固く口を閉ざした。 言ってしまえば、皆は 豊音の元に集まろうとするだろう。 そして皆死んでしまう。 このまま記憶が風化して、 幸せだった思い出だけ残るのが一番いい。 なんて乾いた考えは、 年を重ねすぎた年寄りの考え方だった。 深い絆で結ばれたあの子達は、 一年と経たず異変に気づき、私のもとを訪れた。 始めは白望。次に塞と胡桃。 あまつさえは遠い異国のエイスリンまでも。 皆から豊音を引き離したのは 間違いだったと悟った。 この子達の結束は思っていた以上に強い。 それはもう、断ち切る事は出来ない程に。 だとすれば仕方がない。 なんとか皆が、これからも関係を 続けられる方法を模索する事にした。 白望が先に行っているから、 豊音の精神はまだ持つだろう。 私は後からやってきた三人に協力を依頼した。 二人が壊れてしまう前に、 解決策を見つけ出す必要があった。 全国を奔走した。トヨネの力を弱めるか、 白望の力を強化するか。 文献を読み漁り、同じような事例がないか 手あたり次第探った。 そして辿り着いたのが、この白望山。 小瀬川白望。 初めて名前を聞いた時から、 どこか馴染のある名前だと感じていた。 小烏瀬川を抜けた先にある白望山。 それは白きを望む山。 その名前をいただき、 文字通りその身を髪まで白で覆う娘。 もしかして白望は本当に、 この山の化身なのではないか。 私は山を訪れて、それがただの 推測に留まらない事を確信した。 山から流れる空気。その奔流は、 確かに白望を思わせるものがあった。 白望がマヨヒガを発動させる時の力を。 『ここでなら、あの二人だけなら  なんとか住めるかもしれないねぇ…』 豊音は山女。だから、山男であるあの山に縛られている。 でも、白望山だって同じく山だ。 だったらその化身である白望なら、 寝取る事もできるのではないか。 『不可能ではないと思います。  私も確かに、ここに小瀬川さんと同じ力を感じます』 『でも物の怪には厳しいかもしれませんねー。  正直私は、ここに住むのはご遠慮願いたいですよー』 『初美ちゃんや私には、  この神聖すぎる気配は身体に堪えるわね。  だからこそ、姉帯さんの力も  抑えられるんじゃないかしら』 『小瀬川さんの力が高められて、  姉帯さんの力が封じられる…  うまく釣り合いが取れるかはわかりませんけど』 『それだけわかれば十分だよ。  遠くから来てもらって悪かったねぇ』 『いえいえ、私達にとっても、  お二人はもうお友達ですから!!』 幾ばくかの希望が見えた。 私は早速宮守の三人を連れ立って、 二人が住む遠野の山へと出発した。 -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- そこまで語り終えた熊倉先生は、 また湯呑のお茶をずずっと啜った。 「そんなわけで、今に至るってわけさ」 「白望が死ななかったのは、あの子も人間じゃない事と、  豊音の毒気を取り込んだ事が関係してるんじゃないかねえ」 「じゃ、じゃぁ…シロは助かるんですか!?」 「まあ、前例がないから確約はできないけどねぇ。  多分大丈夫だと思うよ。  なに、ちゃんと根拠もあるさね」 「エイスリン」 「オマカセアレ!!」 私達が話を聞いている間も、 エイスリンさんはずっと絵を描き続けていた。 絵の内容は全て同じ。 スケッチブックの全てに、 シロが元気にダルがる姿が描かれている。 「Aislinn Wishart」 「この子も異能持ちなんだよ。  効果はまあ、名前そのままだねぇ」 「エイスリンは夢って意味なのさ。  そしてウィッシュアート。  この子は、願いを夢見て絵に描くことで、  それをある程度叶える事ができる」 「今思えば、宮守女子の麻雀部には  人間はいなかったのかもしれないねぇ」 「え…?じゃあ、さえとくるみも…?」 「あー、私もなんかの神様の末裔らしいわ。  『塞の神』だっけ?正直ピンと来ないけどさ」 「神様ならいいじゃん!  私なんか『カクラサマ』とか言うけど  結局よくわかんないんだよ!?」 「ここまですんなり来れたのは  この二人のおかげさ。塞も胡桃も、  人を導く力を持っているようだからね」 「だから…もう心配しなくていいんだよ?」 熊倉先生が穏やかに微笑んだ。 その慈愛に満ちた笑みを前に、 私はずっと、ずっと抱えてきた重荷から ようやく解き放たれた気がして。 思わず、目から涙がこぼれていく。 「ありがとう…ございますっ……」 「ああ、たくさん泣くといいさ。  それで白望が目覚めた時には、  笑顔で迎えてやるといいよ」 うずくまって肩を震わせる私の耳に、 熊倉先生の優しい言葉が響きわたった。 -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- 『……あれ…』 『おはよう、シロ……っ!』 『トヨネ…ここは、どこ?』 『あの世?』 『あはは…あの世じゃないんだよー……』 『でも』 『きっと、私達にとっては…』 『天国なんじゃないかなー』 -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------- 一度は黒に染まった世界 その世界が白い光で埋め尽くされる まばゆいほどの白の後に残ったものは 愛しいトヨネが微笑む姿 ああ、まだよくわからないけれど 私達はきっと救われたんだろう ありがとう ありがとう 愛してる そして、また世界が動き出す。 私達二人の、幸せな世界が。 (完)